2006-06-13 第164回国会 参議院 外交防衛委員会 第22号
例えば、これも驚いたんですが、中学で、日本の江戸時代二百六十年間のうちで出てくる人物はたった一人で、これは大塩平八郎だけだと、天保の飢饉のときに反乱を起こしたと、こういう歴史記述しか載っていないということでありますし、戦後の日本については全く記述がない、七二年の国交回復しか書いてないと。戦争の反省に立った日本の平和国家としての歩み、行動、あるいはODA等については全く記述がない。
例えば、これも驚いたんですが、中学で、日本の江戸時代二百六十年間のうちで出てくる人物はたった一人で、これは大塩平八郎だけだと、天保の飢饉のときに反乱を起こしたと、こういう歴史記述しか載っていないということでありますし、戦後の日本については全く記述がない、七二年の国交回復しか書いてないと。戦争の反省に立った日本の平和国家としての歩み、行動、あるいはODA等については全く記述がない。
○参考人(大西健丞君) もちろん私の言葉でありますが、実はそれは文脈が違いまして、私がいただいた質問は、そのときは、大学院まで出てどうして国連とかを目指さなかったのですかと言われましたので、風土ですかねというお話をしまして、何ですかと聞かれましたので、私は大塩平八郎中斎先生のお墓と、それから山片蟠桃さんのお墓の間で育ちましたと。
まさに大塩平八郎の乱のときと同じですよ。小泉さんは三方一両損だと言って大岡越前守をやってみえるけれども、あのときによく出るでしょう。代官がおって、おい越後屋と言って、おまえもういやつじゃのうとかなんとか言って、あるでしょう。(発言する者あり)悪じゃのうと。越後屋さんに申しわけないけれども、あれと全く同じだよ、何百年たっても。だけれども、ここから大岡越前守、遠山の金さんは正したよ、これを。
○参考人(大塩まゆみ君) 私も大沢先生と一緒で、自営業主かどうかということで所得制限の金額を変えるというのはおかしいと思います。やっぱりそれが子供に与える影響があるんじゃないかと思います。
大坂は、大塩平八郎が一八三七年に大塩の乱を起こして、その後今度は将軍が鳥羽伏見の戦いの後大坂へ逃げ込んだものですから、大坂は焼けてしまいました。ですから、外国の使臣は大坂で接遇をしておったようでございますが、前島密の提案で、東京が混乱をしないようにというので東京へ都を移した。 そういう歴史がありますから、その話をして、私は、静かに見ていてくれ、東京を悪いようにしないと。
それは、一八三七年、大塩平八郎の乱がありまして、そして大坂が焼け落ちてしまいました。 それから、徳川慶喜は大政奉還して将軍をやめたんですが、薩長はそれに後でまた追討令を出して鳥羽伏見の戦い、御承知のように大坂城に入って、これは英国大使をして日本におられたヒュー・コータイツなんという人が、幕末の大坂城で外国の使臣を接見する状態などをいろいろ書いておられます。
○参考人(大塩洋一郎君) ただいま御指摘がありましたように、開幕以来事故及び故障が相次いでいることは御指摘のとおりでございます。私ども協会といたしましては、常に安全ということを重点に置きまして従来から用意をしてきたところでございますが、大変このような頻発する故障、事故につきましては、協会といたしましてもまた非常な期待を受けているだけに甚だ残念であり、かつまことに遺憾と思っている次第でございます。
○参考人(大塩洋一郎君) 私といたしましては、特にこの万博が始まった早々ウオーターライドのような事件が起きましたことにつきましては、まことに不本意であり、かつ残念であり、個人的には非常に心痛む断腸の思いがいたしております。
大都市地域における住宅地等の供給の促進に関する特別措置法の一部を改正する法律案並びに都市計画法及び建築基準法の一部を改正する法律案、以上両案審査のため、本日、財団法人国際花と緑の博覧会協会事務総長大塩洋一郎君を参考人として出席を求めたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○白浜一良君 いろいろ具体的な細かなことはあるわけでございますが、大塩さんに来ていただいたときにもう一度きっちりやりたいと思いますが、私大きな問題だけをお話ししたいと思います。
そして今回このウオーターライドの事故があったときもそういう経過で、大塩事務総長は責任は協会にはない、営業者とは契 約を交わしただけだ、こういった責任回避の弁が最高責任者でございます大塩事務総長からあったわけでございます。実際、フラワーキャビンの滑車が落ちた、それでも一時間四十分ずっと動いていたという経過もございます。どこがどう責任を持つのか。
○白浜一良君 重ねてお尋ねしますが、非常に大事な行事が九月いっぱい続くわけでございまして、必ず大塩事務総長はしかるべき委員会に来てきちっと説明していただけるということですね。
○参考人(丸山良仁君) 当時の総裁は大塩洋一郎さんでございます。それから、当時の担当副総裁は私でございます。それから、当時の担当理事は救仁郷でございます。それから、都市再開発部長が谷口清彦でございます。なお、当時の関東支社長は川原井一郎でございます。
○東中委員 この博覧会の規模の問題ですが、先ほど来め質疑で二千万人というふうな話も出ておったのですが、サンケイ新聞の「ふくらむ期待花の万博 進路をきく」という五回の連載物がありまして、国際花と緑の博覧会協会事務総長大塩洋一郎氏が五回にわたって連載、一問一答になっているわけです。
人 (水資源開発公 団総裁) 望月 邦夫君 参 考 人 (水資源開発公 団理事) 大嶋 孝君 参 考 人 (本州四国連絡 橋公団理事) 吉田 巖君 参 考 人 (住宅・都市整備 公団総裁) 大塩洋一郎君
○大塩参考人 公団の家賃部会におきましては、家賃全体の問題を踏まえつつ、空き家入居の際の家賃であるとかあるいは家賃改定の問題とか等々をその都度お諮りする、そういう場でございます。
両件調査のため、本日、参考人として日本道路公団理事渡辺修自君、水資源開発公団総裁望月邦夫君、同理事大嶋孝君、本州四国連絡橋公団理事吉田巖君、住宅・都市整備公団総裁大塩洋一郎君、同理事京須實君、以上の出席を求め、意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
角野 敬明君 日本国有鉄道電 気局長 八木 正夫君 参考人 住宅金融公庫総 裁 河野 正三君 住宅金融公庫理 事 猪瀬 節雄君 本州四国連絡橋 公団理事 吉田 巌君 住宅・都市整備 公団総裁 大塩洋一郎君
局水道環境部水 道整備課長 森下 忠幸君 通商産業省立地 公害局工業用水 課長 合田宏四郎君 参考人 住宅金融公庫総 裁 河野 正三君 北海道東北開発 公庫総裁 吉岡 孝行君 住宅・都市整備 公団総裁 大塩洋一郎君
管理局会計課長 大坪 波雄君 公正取引委員会 事務局庶務課長 矢部丈太郎君 北海道開発庁総 務課長 高橋 昭治君 大蔵省主計局司 計課長 西澤 裕君 会計検査院長 鎌田 英夫君 参 考 人 (住宅・都市整 備公団総裁) 大塩洋一郎君
本件審査のため、本日、参考人として住宅・都市整備公団総裁大塩洋一郎君、理事京須實君の出席を求め、意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○政府委員(中田一男君) 研究会の九名は、大塩洋一郎住宅・都市整備公団総裁、小幡琢也日本抵当証券株式会社社長、川上秀光東京大学教授、安藤太郎住友不動産株式会社社長、石川六郎鹿島建設株式会社会長、江戸英雄三井不動産株式会社会長、中田乙一三菱地所株式会社会長、野地紀一清水建設株式会社会長、森泰吉郎森ビル株式会社社長、以上九名が研究会のメンバーであります。
大変お忙しい中をきょうは大塩総裁に来ていただきましてありがとうございました。次のテーマに移りますので、席を外されて結構でございます。
○大塩参考人 私どもとしましては、コンクリート中高層住宅のパイオニアといたしまして、コンクリート性能の問題につきましては大変重要な関心を持っており、特にこのたびの狭山のような大量に一時に出たケースにつきましては、その基本的な問題の解明に非常に重大な関心を持っているところでございます。したがいまして、先ほど申しましたとおり、その結果によりまして適切な処置をとっていく所存でございます。
○大塩参考人 四月下句にそのようなアルカリ骨材反応の結果等が出ることを聞いております。私どもはその調査の結果を非常に重大な関心を持って見ておるわけでございまして、今先生がおっしゃいましたように、その結論、検査の結果いかんによりましてはそのような体制も必要かというふうに考えております。
昇君 藤田 高敏君 村山 喜一君 草川 昭三君 斉藤 節君 近藤 豊君 藤田 スミ君 出席国務大臣 国 務 大 臣 (環境庁長官) 上田 稔君 出席政府委員 環境庁長官官房 長 加藤 陸美君 環境庁長官官房 審議官 大塩
高桑 栄松君 近藤 忠孝君 中村 鋭一君 美濃部亮吉君 国務大臣 国 務 大 臣 (環境庁長官) 上田 稔君 政府委員 環境庁長官官房 長 加藤 陸美君 環境庁長官官房 審議官 大塩
義郎君 村山 喜一君 山本 政弘君 斉藤 節君 薮仲 義彦君 藤田 スミ君 山原健二郎君 出席国務大臣 国 務 大 臣 (環境庁長官) 上田 稔君 出席政府委員 環境庁長官官房 長 加藤 陸美君 環境庁長官官房 審議官 大塩
美濃部亮吉君 国務大臣 国 務 大 臣 (環境庁長官) 上田 稔君 政府委員 内閣法制局長官 茂串 俊君 内閣法制局第二 部長 関 守君 環境庁長官官房 長 加藤 陸美君 環境庁長官官房 審議官 大塩